歩くことに考えたことはあるだろうか。
一生懸命あれこれ考えなくても足は自に前に向かって歩を進めることができる。それと同じようにボールを投げることが人間にはできる機能が備わっている。
だけど、わたしは病名のない病気になり、ボールが真っ直ぐ投げれなくなってしまった。わたしの中では「ボールが真っ直ぐ投げられない病」と呼んでいる。
どこに投げてしまうかというと、主に相手の手の届かない頭の上だったり、地面にたたきつけてしまったり、左右もばらばらだ。そんな状態でしばらくキャッチャーをやっていたことがある。受けたボールをピッチャーに返球するだけなのだが、ボールは彼方に投げてしまいショートやセカンドが取りに行く有様。9回がとても遠く感じる。みんなもイライラ、ピッチャーも疲れてしまう。申し訳ない気持ちでいっぱいになり精神的にも追い込まれ冷や汗や動悸、逃げ出したい不安定な状態に陥る。
この病気は高校生から始まりいまに至る。この「ボールが真っ直ぐ投げられない病」はわたしの人生を通しての研究材料のひとつなのである。病気がもし治ったらどれだけ気持ちがよいだろうか。
この病気を改善したく大人になり草野球を通してあらゆることを試したが改善はされなかった。例えば、書籍や投げ方の解説動画。鏡を使った自分の体の動きの把握から、体重移動の理解。イメトレや精神的なところも関係していると考え、壁相手にした投げ込み。もちろん投げることが得意な方の指導も受けた。だけど、決定的ななにかがわからない。
投げている時どんな状態かというと、なんだか腕がぐにゃぐにゃなのである。腕や指の感覚がすごくある状態でカチコチなようでぐにゃぐにゃな感覚。もうよくわからないんです。。。だからリリースポイントもバラバラでボールもとんでもない方向へ投げてしまう。
だけど、まともにボールを投げられる日もあるんです。わたしの中では「奇跡の日」と呼んでいます。だいたい1年に1日だけあります。思いっきり思ったところに投げ込めるとても幸せな日です。うれしい出来事の印象が強すぎて過去の奇跡の日はすべて覚えています。その時の感覚を思い出しながらあれこれ研究するのですが奇跡と呼ぶように、うまくはいきません。
奇跡の日の腕の感覚は、ほとんど意識がなく無意識の状態にあります。腕や指先がどんなルートを通って前に出しているのかよくわからない状態です。ボールを投げるという行為はつかみどころのない動きです。考えて投げてはいけない!とは言っても理解なくして解決はできない。あきらめず今もこつこつ試しています。わたしだけでなく同じ病気で悩んでいる人もいるはず。プロ野球選手でもとんでもない方向へ投げてしまっている調子がわるい日を見たことがある。わたしには腕がぐにゃぐにゃに見えた。間違いなく「ボールが真っ直ぐ投げられない病」である。気持ちがわかるにで胸が痛む。
そして、あれこれ考える日々の中、一筋の光がわたしに見えてきたのである。ただしこういうものは過去に幾度となく経験してきた。どれもこれも掴めそうで掴めないものばかりだったので期待値はそこまで大きくない。だけど、多少の手応えを感じているところもあり慎重に研究を進めているところもある。
「ボールは上に投げるものではなく、下に投げるもの。」
これがいまのところの研究の解である。
極端な話ではなく、ボールを地面に叩きつける。徐々に徐々に強く。その時の感じるのは腕があの奇跡の日と同じ、無意識状態になっているのである。無意識状態を覚えた体は投げる方向を下から前に変えても、状態を保ったまま気持ちよく投げられるのだ。考えないように考えるがなぜかはわからない。わたしは知っている。ここで調子に乗ってはいけない。解決したと浮かれてはいけない。別の日に試してダメだったことを何度も経験している。慎重に研究を進める。
あるプロ野球選手が言っていた言葉がきっかけで、「下」という方向に対して意識があった。
そのプロ野球選手は「遠投で肩は斜めに上に向かって投げても強くはならない」、と言っていたことが頭に残っていた。するどく地面と平行に近い意識で投げ込む。そう言っていた。角度が高い方が遠くの飛ぶイメージがあるので耳にした時は意外な考えだなと記憶に残っていた。
いまのところわたしの理解の仕方は、人間の体つくりはそのように出来ている、ということに留めている。
病気の完治まで地道に研究を進め、自分のため、そして世の中で悩み困っている選手たちに対して、明るく幸せな奇跡の毎日が続く日々を送れることを達成させる。
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