そんなことは誰にでもあるのではないだろうか。
それについて深く考えたことはあるだろうか。やろうと思っていたことは好きなことなにではなかったのか。いまそれを続けていたらどうなっていたのだろうか、といない自分を想像してしまう。疑問を残したまま、そのままにしてしまう。
だから、いまこそ一緒に考えていけたらと思う。
仮説。
この時点で、これまでの経験と勘と知識から直感的に思った仮説となる答えはこれだ。
やろうと思っていたことは、自分が好きなことではなく、その一歩手前の興味があることなのではないだろうか。
やろうと思っていたことだから好きなことではあるのかもしれない。きっと感覚的には自分に相性のよい類であり、行動すれば幸福な気持ちになれると思う。
比較。
好きで続けていることと、ただ好きと言っていることとでは決定的な違いがある。それは、まだ経験がない、もしくは経験が少ないという点である。
経験がなくても自分にとって好きだな、と感じられることはたくさんある。ただそれは「興味がある」、という言葉にも置き換えられるのではないだろうか。好きと言い切るには少し遠慮があるのではないだろうか。
逆に、日常的に繰り返している好きなことに対して「興味がある」、という言葉に置き換えてみるとどうだろうか。興味があるのは当然という感じがする。好き、という言葉もセットで堂々と言える気持ちになれる。些細な違いだが理解しておくのは必要なステップだ。
疑問。
では、興味のあるものは無理をしてでも経験をすれば、少しは好きになり、求める好きなことと昇華するのだろうか。わずかながらでも、その経験からここが好きというように具体的に伝えられることができるはずである。他の人とその話がひとつでもできるようになっていることになる。
目的。
このテーマで導き出したいことは2つある。
ひとつは、やろうと思ったのになぜやらなかったのか。
もうひとつは、やろうと思ったことをやるにはどうすればよいのか。ということを導き出したい。
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