ポイ捨てをした瞬間の心理を探る。
あなたは普段ポイ捨てをしていますか?
常に、車からタバコの吸い殻を捨てたり、コンビニで買って食べたアイスの袋を捨てたり、飲み終わったペットボトルを誰かの自転車のカゴに入れたりしている人の心理状態を理解してみたいと思う。
この記事を書くきっかけになったことがあり、愛知県在住のわたしは名東区から名古屋駅の12kmを歩いてゴミ拾いをしてみたことが発端になります。
結果的にゴミの量は45リットルのゴミ袋いっぱいになった。普段街を歩いていて、ゴミが落ちている印象はもともとなく、結果からも出たようすごくたくさんのゴミが落ちていたとは思っていない。
ただし、タバコの吸い殻は別としてだ。何百回とゴミを拾うためにかがんだ多くのものがタバコの吸い殻だ。ちょっと歩いてはタバコの吸い殻。またちょっと歩いてはタバコの吸い殻。拾ってはまたすぐその先にタバコの吸い殻が落ちている。信号待ちの場所、バス停の前、パチンコ屋の前、自動販売機の前、帰宅するために使う歩道。そういった場所でとにかくずっと拾い続けたのはタバコの吸い殻だった。
なぜだ、なぜだなぜこんなにも自分の所有していたものを道に捨てることができるのか。拾い屈むたびに捨てる人のことを強く考えてしまう。馬鹿なのか。馬鹿なのか。馬鹿なのか。顔も知らないその人は馬鹿なのか。道に捨てるとゴミとなるそのものに感情は動かされないのか。少しもこころがざわつかないのか。
今回、拾ったゴミの種類はこんなものたちだ。
タバコの吸い殻、レシート、壊れたビニール傘、コーヒー缶、ビール缶、スプレー缶のフタ、ヘアーゴム、使ったティッシュ、コンビニの袋とその時食べたアイスの袋、何かビニールの切れ端、自転車、バイク、雨に濡れた段ボール、フリーペーパー、ペットボトルのキャップ、不織布マスク、吸い殻を集めた袋、カバンの切れ端、菓子の包装など。













ゴミを捨て続けられる人のことを考えてみる。
ゴミを捨て続けられる人は、初めて道にゴミを捨てたその時から、なにも感じなかった。もしくは、最初は後ろめたい気持ちはあったがその場で再び拾うことはできず、2回目もしてしまった。そしてたまたま3回目もしてしまいその時にはすでに後ろめたいなどの感情は失ってしまった。もしくは、どうしてもその場で捨てるしか選択肢が残されていなかった。そして、その人はその次も捨てるしか選択肢が残されていなかった。という自分の間違った行いを正当化してしまう生き方を常にしてきた。もしくは、道に落ちているゴミは誰かが清掃するものだとそもそも思っている。もしくは、ゴミを道に捨てることなど大したことではないと思っている。もしくは、家でも道と同じようにゴミを捨てている。これは、歩くために右足を出せば次に左足を出すことと同じであるかのように。もしくは、道にゴミを捨ててはいけないということを知らないかもしれない。もしくは、ゴミを持ちたくない。
しかし、ゴミを道に捨てる人の気持ちに近づいてみる。
ゴミを自動車の排気ガスに例えてみたらどうだろうか。自動車から出る排気ガスによる大気汚染のニュースはいくらでも聞いたことがあると思う。でもそれで自動車に乗ることをやめる人が多くいるだろうか。地球に申し訳ないと思いながら運転している人はいるだろうか。なんの感情もないまま運転しているのではないだろうか。運転をやめろと言われてどう思うだろうか。
自動車の場合、大半の人が排気ガス汚染のことは考えずに乗っている。そして、自動車に乗ることは生きる上で仕方ないことだとも思っている。そして、みんなが乗っている。だから、自動車に乗らないという考えには至らないのである。
当たり前だと思っている、そのものが固定観念である。
それぞれの考えがある限り、わたしがここでゴミを捨て続ける人のことを話題にあげてもその人の行動が変わることはない。変えたいのであれば手段の手立てを考えなければならない。
一言発してなにかを変えることができるためには、それ相応の権力や発言力のある存在になっていなければならない。
ただ、わたしの気持ちを伝えるのであれば、ゴミ拾いをしていてなにも落ちていない道を歩くというのはとても気持ちいいことなので、ポイ捨てはしないでほしい。
タバコの吸い殻を道に捨てないためのアイデアを考えてみてもよいかもしれない。
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